2017年8月10日木曜日

カッティング、とな。

たかがカッティング。されど・・ なんつって。

TWITTERでここ何日かカッテッィングほにゃらら、というタグのついたギター動画をけっこう目にした。僕はツイッターはここ半年くらいなるべくそういうのがTLに流れてこないような使い方をしておるのですが、それでもごくごく幾人かの尊敬できるギタリストアカウントからのRTという形で、いろんなそのカッティングほにゃららをつい見てしまった。俺でさえこれだけ目にするんだからそのタグ参加者ぜんぶは結構膨大なものがあるのでしょうね、きっと。

さてそれで。

なんかその動画達のプレイ、フィジカルエクササイズみたいなのがほとんどで。その事が印象的でした。
カッティングっつうととにかくオンタイムで整然と・・みたいなアプローチが先ず前提として支配的なんだなぁ・・と。

僕はカッティングというのは正直よくわかってはいないのですが、なんせ、性格がものすごくルーズだしリズムというのを時にはギターが引っ張るような、ダイナミズムを持った音楽は僕が物心ついてギターを手にしたた頃にはもうすでにほとんど瀕死に近い状況でしたし。人間の演奏によるものであれ、電子的であれ、とにかくビート、BPM、というのが俺が生きている時代の音楽の主流のフォーマットでした。

ただそんな中で、なんとなくですが、カッテッィングっていうのは、音楽の一番根源的なアプローチ法なのかな・・?っていうのはなんとなく最初から感じていて。あんまりそれをテクニックとして捕らえてはいないけど、なんつうか、言葉ならばそれこそ やぁ、とか、 あの・・ とか、 えーと・・とか、 つまり・・ とか。
なんかとりあえずコミュニケーションを維持して発展させてより深いやりとりをする為の、とっかかりというかその人のクセみたいな、ものかなぁと。


文章にはうまくまとめられないですねやっぱりこういうのは。
なのでなんかそんな気持ちになったよ、という事に関連?してるかどうかはわからんけど自分の演奏記録をひとつ貼ってみます。


これは、俺の音楽に対するスタンスがすごく良く現れてる演奏記録かなー、と。
自分の結婚式の2次会ですね。普段はアコギ抱えて独自に活動をガンガンにやっておられる我が奥様と、珍しく競演しています。この2次会は僕ら夫婦ともども人生中でめぐり合ったいろーーーんな音楽人にたくさん来ていただいて、それぞれに演奏をしていただいたり、セッションをしたりと、豪華ライブみたいなかんじだったのですが。んでも結婚式ってさぁ、挙げるってなるとなんか知らんけどやたらやることとか準備とか決め事が多くてさ。そういうことに忙殺されません?
そんな訳で僕ら夫婦もこの2次会の事までについてなんて、ほとんど準備なんてできるはずもなくて。

この動画でベースとMCしてるのがちょいと縁のある音楽仲間で(でも競演経験はない)、その彼と電話で曲目とキーだけ決めて、あとはこの日この場でそれをやってみた、というのがこの動画です。ドラム叩いてるのは僕の直接の知人ではなくベースの彼が引っ張ってきてくれた旧友。僕はこの日初対面。この4人で、この演奏曲目をこのキーでやろう、ということだけは決まってたけどそれをはじめて実行したのがこのガチ本番つう。当日リハすらない。正真正銘、セッション。

そこで、こういう瞬間って、それぞれに音楽を持ち寄るしかない訳じゃないですか。
それぞれのミュージシャンシップをさぁ。

相手の出方からわからないんです。どういうテンポやシンコペーションやつまりはグルーヴ?の解釈をみんながしてくるか全くわからない。

しかもミュージシャンを職業としている訳でもなければ、その己の精神力人間力気力体力の全てを音楽のクリエイトに投じている訳でもない、僕と同じような、先ずはまっとうに就業をして賢明に自分の生活を成立させて、その上で、僅かに余った余力で音楽を楽しもう!!っていうだけの、素晴らしき、たかが凡人達がやるセッションです。
先ずは探って、ガチャガチャならガチャガチャで。ワチャワチャならワチャワチャで。
やるならやってみて。

そこでさ、まぁ楽器が好きなら好きで。音楽が好きなら好きで。

なんかちょっと、ポンコツでガタピシいってる何かに挿す機械油じゃぁないけどもさ。

そういう時にどうするか?というと。

そういう時にほんのちょっと使う機械油みたいなのが、名前が必要ならば呼ぶならば
『テクニック』であると思います。
それはカッティングというか、速弾きというか、ミュートというか、チョーキングというか、ビブラートというか、まぁ細かくジャンル分けしてもしょうがないものの全体ですよね。
そしてこの動画でも当然そうなんですが、音色、なんていうものはほんと。機材でマネジメントなんてできないですよ。あのさぁ、機材なんて、アンプとかさ。ほぼほぼたいていの場面においてその場にあるものでやるわけです。そん時初対面の。その演奏場所のその演奏時間のその場のリバーブ感、壁からの跳ね返り、場所全体の鳴り、その場に居る人間の数でも簡単に激変するんでっせ?
そこは応用力を身につけるよりベターな方法はないのです。だからぜんぶ、

会話なんですよね。

そこには、誰かひとりの思い込みとか美学とか高揚なんて、絶対に現れないのです。
出てくるものはそこに居る人たちの会話なのです。













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