2017年11月22日水曜日

基礎体力づくり。

まぁ言うたら、筋トレですわな。
こういうのは。

思春期からずぅ〜っと走り抜けてきた音楽の日々から2010年頃にいっかいバーンアウトして。
その後まる4年間写真機と写真行為にだけ身も心も捧げて。

いい空気吸って帰ってこれたんで。


最近のここ3年間はまた音楽っつう本道に向き合うための。
リハビリと言うか、もう一段、上に行く為のエトセトラをずっとやってる。



俺はもっとやれる!!!!!

もっと燃え盛るんだ!!!!!!!!!

だってモテたいもん!!!


2017年11月17日金曜日

フィーチャリング、猫。

いつもほぼ声の参加のみなので、猫をフィーチャーしました、



まるで、夏休みの最終日ですよ。

ゆまり、俺は結局ずーっと変わっていない。

こんなアホだけど。

やっぱええかっこしいのままいきたいわけよ。

ほんと、そんだけよん。




こりゃあホンマに根気がいるわね

時間を言い訳にしたら・・負けだし、

そこで俺は終わる。


まだもうちょっと、やってみようかな・・。


変化の中で

生き残るにはどうしたらよいか。
孤独な闘い。



2017年11月16日木曜日

エレキギタ~は大好きだけど音色は興味がない。

ほんとここはごめんなさいというか・・・。

なんか、どーでも良くね?

ていう程度の感性しか持っていないのです・・・・。


木片のあつまりに鉄の糸をピンと張ったからといって・・

そこから例えば泣いた赤子の心を落ち着かせて泣き止ますような・・?そんな、心震わすようないい音色が出てくるなんて僕は期待しない。

雑音かなーて思うけど。

だから俺みたいなこんなバカでも憧れたんだよ。時代の雑音を拾って、雑にええカッコ気取って。雑に美意識気取って。


全て自己流の採点基準でいいんだよ、て。いうのを。その、猛烈に激烈に俺という人間を形成する価値観を中学生くらいの頃の俺に与えてくれたのが、



ロックミュージシャン という せんせいだったのです。




エレキギタ~。

中学生くらいの時、ものっすげぇ憧れたんですよ。

エレキギタ~をひけるヤツ!!とかそういうのに。
なんか、特別な存在になりたかったし。

んで、やっぱ、モテたかったしね。

果たしてそのパッとしない内向的な少年は人生を幸福に出来たのでしょうか?


それはわからないけど。

とりあえずギターつうのは当時思ってたよりもはるかにハードルの高いものだった・・・・っつうのはあるよね。

もう引っ込みがつかないからずっとやり続けてるけど・・

ほんとうは、俺みたいなド凡人が軽い気持ちでやったらアカンことやったんやな~・・・
・・・て今ほんとうに身にしみて感じてたり・・する。

まぁでもどうなんでしょうね。たのしいのはたのしいよ。

まあ、まだまだ俺なんてヒヨっこだと思うのでこれからもじっくりと付き合っていくのかな。とりあえずはもっともっともっともっともっともっともっともっと

弾くことを楽しめるようになりたいな。




2017年9月14日木曜日

音楽人になるっつうのは。②

画家とか、詩人が、列車に乗るっつう事に例えられるかもしれないね。前回の続き。


そして時には、ものすごいスピードで都市、文化、の中を。はい、この街。次はこの街。この駅、この駅、この駅。地形や州をどんどん越えて。ここではこんな生活風習、ここではこんな生活文化、産業。
次から次から次へと疾走して走り抜けたり寸分停車したり、する事もあるだろう。



そのような都市と情報の狂乱の中でも。前回記事のようなまったりした田園地帯でも



ただただ、目に入ったものをメモにとっているだけでは、それは表現行為と呼ぶには程遠い。それは、ただの『反応』だ。カエルに電極差したら足がピーーーン、となる、あれと同じだ。
それは生体であれば誰にでも実現可能な事で、そこには意思や思考や、何より、情熱が。無い。


僕はもう列車に乗ってしまっていると思っている。

途中下車は、許されない。





音楽人になるっつうのは。①

画家とか、詩人が、列車に乗るっつう事に例えられるかもしれないね。

時には、永遠とも思えるくらいに続く広大な田園風景の中を、体感、時が止まっているかのようなリズムのなかを。ゆくわけですよ。




2017年9月11日月曜日

自分とブルースセッション。

ああ。なにげにやった事あるようでなかったのかもしんない。

自分とのブルースセッション。


ブルースセッションつうとソロイスト複数人がソロ回す行為・・みたいなイメージもあるけど。

僕はソロ弾いてる人間と、そうでない人間つまりその時バッキングにまわってる人間、その絡みこそがセッション・・・つうか音楽、の『真髄』だと今は思うので。

ああ、そうか!これはバッキングだな!バッキングもループさせないで長回しで録ったやつともういっかいJAMしてみよう今度。




この練習動画記録の見所は3つ!

だけ!

①さいきん研究中の自前バッキング。コード感のサスティン、残響を残しつつベースライン的なものを動かしたい場合のいっちばん基礎練みたいなことを。やっとる。

②オルタード系フレーズのボキャブラリーを。僕は借りパクではなくプレイのなかから自前で、ものすごく亀の歩みでいいから地道に増やしたい、と感じているのでそこを強制的に求められるような訓練用、的なコードプログレッションを作った。

③さいきんアンチエイジングに燃えていてダンベル運動とかいろいろがんばって身体を締めているのですが。なかなか成果も上がってきてはいると思っていたけどこのカメラの角度だとやっぱり若い時より肉が重力に逆らう力を失ってるのがよーーーくわかって軽く死ぬ。


2017年9月8日金曜日

あるていどのマンネリ。

さいきんはそういうことも大事かな?と思い始めている。思い始めているというか、気づき始めている・・の・・か?

派手だったり、オッ!と意外性があったりオルタード感満点のフレーズとかは、たまーーーーに出てきてくれたり、たまーーーーに仕込めばいいのかなーー??なんて。

まずは自分の節回しというかコブシというか。そんなものを徹底的の徹底的の徹底的に
炙り出して自分の両手と心に焼き込んでみるのもわるくないのかもしれない。


結局そういうのを生涯をかけてやりきった人達がブルースやジャズのレジェンドなのかなーー?

なーーーんて。

ちょっと思いつきメモでした。




2017年9月7日木曜日

そっか!そんなクサることもなかったんやな!

この昨日の録画、アドリブがものすごく低調なんできのうは気分がすぐれなかったんだけど、一日たって見返したら、んー・・・チョットまって、いやいや、

いま自分が取り組んでるテーマはそこじゃないし、それはちゃんと自分で見えた上でやれてるし、もっと前向きになっていいかなって、チョットだけ思い直してる。

なにごとも、いっぺんには無理。そうだった。俺は出した出力がすぐさま己でも惚れ惚れするような成果に成るわけでもなければ、ましてや、人様からすごい!とかいいね!とかいわれれようなものをいとも簡単にお披露目出来るような、才人などでは決してないのですから。俺は凡人だった!これを忘れないようにする事。これがキモなんだった!!!


具体的には今はこの方法論の、前提の部分。つまり、自作のコードプログレッションとその表現のアレンジパターン、そこの基礎体力を強化したいのです僕は。今はそれが最大の練習ポイントなので、そこは結構丁寧にやって、昨日はなかなか練習になったかなと。

この、きのう録画記録したやつでは、ちゃんとそこを構築して、右手はなかなかいい仕事してるんじゃないかなと。

1小節1コード、のパターンで、各小節、ベースは1度5度のラインで、
『グルーブをキープしたい、』
それが昨日のこの僕のアウトプットの重大テーマだったので、そこをなかなかやれてる自分は自分が評価してあげないとな。

2小節でひと巡りの整然としたパターンで右手親指のベースラインと、右手親指以外の、高音弦側で和音を出すラインがちゃんとリズムパターンとしてリフレイン出来てる(^^)

これは大いなる前進だと自分を認めてあげよう。自分を正しく監査・査定しながら。

もう闇雲にやってる時間もないしね(^^;)

俺が成りたいのはいいね乞食じゃない。胸張っておんがくをプレイできる自分だ。








資源と種と訓練

そうかなんとなくわかりました。

今はこれでええんやな。⧭


2017年9月4日月曜日

3時間くらいなやんだけど、高山さん。

3時間くらいなやんだけど 

一応ジャンルのファンとして 書いとく

あの時代、確かにあなたのような行動を取るプロレスラーは時代に必要とされていたのは認める。事実だ。

しかしやはり客観的に見れば、あきらかに、真剣に勝ちを目指すでもないモチベーションで参戦して、当然どーしょもない結果でしかなかった格闘技でのピンポイント数戦、それで得た圧倒的バリューでフラフラフラフラと特別人気選手ワクみたいなものでプロレス各団体にフリー参戦してそこの所属選手とロクに手合わせもしてなかったろ。
で受け身とれなかったんだろ?

これ、被害者は投げたほうだと俺は思う。

もっと手厳しくいうならその時その場に居たお金払って観戦していた観客もかな。


投げたほうがいったいどれだけ自分のプロレス人生をめっちゃくちゃのこなごなに否定されるか。

想像したくもない。とても恐ろしすぎて。


んで、受け身取れなくて後遺症出たから基金、募金?



これ、発起人が他者とかのはなしじゃないよ。ニュースで見るに、意思はあって喋ったりはできるようなはなしが本当なら、拒否もできたんじゃ?


ジャンルに対する裏切りじゃない?

ミュージシャンって、なんやろなぁ?


ミュージシャンって、かっこよくてさ。ずっと憧れて生きている。

でも、いま自分がソレになれてるの?と本気で問われたら


グラグラグラグラ。


とってもじゃないけど。自信ない  マジで。


ミュージシャン と 目立ちたがり  って

ものすげー見分けがつかないほどソックリでさぁ。
正直俺はここまでの人生ずっと後者だったと思う。



それが良いの悪いのを考えることに時間や頭を使う気はない。

ただ、ふと。はっと。


俺はもう残りの時間を前者になることを目指す事につかってみてもいいかなと。


ただただそんなお年頃。


適材適所。

この感覚がない人による趣味音楽家活動・・・・

これはもう僕は完全に卒業生扱いにさせてください。

僕はもう過去にかきつづけてきた恥を回収して回って、

リベンジというか・・責任を果たすようなやりかただけに集中したい。


全力で本気でいかないともう。残りの時間は限られているので。

がんばるぞー。



まぁ・・情熱なんではないですかね?

音に出てくるもので、聴くに値するものって。

ものすごくいやなやつみたいな言い方しか僕はできないな、われながら。
でもそうやって14の時からやってきたんだからいまさら自分はかえられないよ。

音楽には、存在するのはべつに自由でいいと思うけど、
でもほかならぬ自分が、この耳で、感性で、聴くに値するものとしないものは、それは明確にある。

それがなかったら演る側に居ないって。


2017年9月1日金曜日

指板に問題があると思ったら大間違いでした

勿論、指板の問題も僕はとんでもないヒヨっこなので一生をかけて追求していくしかないんだけれども。

だ、けれども。


もっと大きな課題が右手に在る。

これはほんとうにもう俺はド素人。初めてギター握った14の頃に戻ったみたいだ。


真面目にやるよりほかないよこりゃ。


lilac 再構築中

このコードプログレッションの元ネタは10年以上前に作ったオリジナルのインスト曲。

ちなみにこれ。


当時はコードプログレッションの知識はあったけれどアドリブ演奏は一発しか対応できてなくて。この曲のテーマメロディってのはキメキメで構築したものしか弾けなかった。

アドリブソロパートもあったけどその部分は一発で弾ける進行にして、それでアドリブとったな。



これはちょっとリベンジ、じゃあないけど。自分の再構築なのです。

冒頭で述べた自作曲から抽出した出だしのAパートをループさせてみたら3回も転調がある。それは、いまの僕はアドリブを弾く必要がある。弾く責任、かな。

全てを統合させなきゃ。


速いボッサ

いや、まだ遅い。これじゃ。

つうかシンコペーションがぜんぜんちげー。

もくもくれんしうするしかなさそうや。


2017年8月31日木曜日

ふつうの練習。

ふつうのれんしゅう。

おもろくもなんともないよ。
こういうのをこういうふうにネットに出せちゃう時代になった、

っていうだけで。

ふつうのれんしゅうは、ふつうのれんしゅう。

ただこれはやってないとはずかしいから証拠として、さ。ただそれだけ。の意味。

自分への記録だから。



れんしゅう。してるー?してないやつは、わかるし。


相手にしてあげる、時間が、物理的になくなってきちゃうのです。これは僕の悪意もクソもない、ただの現実の部分なので。どうかそれだけはわかってほしい。。。。。。



ぼくは、弾いてるよ、っていう。毎日だよ?っていう。

ただそれだけのはなしでした今日は。





2017年8月28日月曜日

ちょっと心と身体を作りなおしています。


衝動!!アイデア!やる気!エナジー!勢い!楽しさ!!!

それは万人に平等に与えられるチャンスです。

俺はけっこうそういうのは最大限活かして、いろいろとわんさかがやがやとかきまわして、やった!!やったった!!そうやってけっこうやってきた。

そこは自負もあるし後悔なんて1ミリもない。


ただこれからの僕はそういうのとはちょっと違うのかな。きっと。


あまりにも、やろうと願ったことに対して中身の魅力がついていけてなかったので。

中身をいまさらだけど磨かないとな、っちゅう思いが今はすごく強い。

そこはでもさぁ、今更も、遅いも早いも、あんま関係ないかなーて。楽観。




結局なんでと問われればやっぱり好きなんですよねたぶん。


好きなことくらいは・・・なんつうか。

好きだからこそ、かな。

一歩引いて、俯瞰して、

もっともっともっともっともっともっともっともっと、これじゃだめなんじゃないのか?

って自分に疑問符だけを叩きつける時期があってもいいと感じた。

好きな相手に対して心の余裕が出てきたってのもあるだろうし、

結局はもっともっともっともっともっとっもt・・巻き返してやりたいし。


やっぱり何年だか、はたまた何十年だか、音楽や楽器を趣味にしてきた人間の演奏て、たとえそれが生業ではなく趣味の範疇であったとしても、やっぱり今まで楽器なんかやろうと思った事もない人達に対して、

ちょっと、足を止めさせるくらいの事はできないと。やってる意味が、僕は、だけど、ないなと思って。

ちょっと心と身体を作りなおしています。








ジム仲間とのスパーはおわってしもた

それはそれは・・、たのしい年月だったけど。

象徴である舞台をいっこ潰してしまったしね俺は


あとはもう自分がいきのこれるかどうか。その精一杯が、じぶんの誠意一杯。


回ってきたツケみたいなもんでこれは。清算はしないといけない。


もうケツだけは決めた。僕は音楽人として墓に入りたい。


2017年8月24日木曜日

YES! I am ギタァァァァァァリスト。

もう、どうせだからさ。

ギタァァァァァァリスト。

に、なってやろうかな、とか思い始めている。


なんか、ただひたすらに、

ただただ、ギタァァァァァァリスト。だよ。っつう。
誰にもご面倒もご迷惑もかけずに。ただただひたすらに、ただ、ぼかぁ、

ギタァァァァァァリスト。なんですよ。っていうだけの。


やれ、
バンド組んだんで観てください褒めてください
ライブやるんできてください褒めてください
オリジナル作ったんで聴いてください褒めてください
CD作ったんで是非聴いてください評論してください
こんどのライヴ、新曲もやるんで来て下さい!!

・・・etc,etc。

みたいな。

そういった様な、それはそれは多大なる迷惑を周りの人たちにかける存在には、もうなりたくてもなれないようなトコロに。年齢的にもキャリア的にも来てしまったし。



ちょっとしばらく、音楽とだけ向き合ってみたいな・・・と思い始めている。




ギタァァァァァァァァァァァァァ

どうしてそんなにえげつないのだろうかこのギタァァァァァァァッァァァアl

とかいうやつは。


僕はもう秋を見据えている

今年の、じゃねーぞ(笑

人生の。ですよ。


秋は収穫の季節。春や夏に何をやっていたか?

残酷なまでにそれだけが現れる季節。何が実ったのか?何を収穫できるのか?

はたまた、遊んでいたので畑はサラ地のままなのか。


そんなのがそろそろ僕にもやってくるから。


もう夏は終わっている。




2017年8月21日月曜日

音楽は毎日できる

舞台のために用意するものが音楽じゃない

音楽のために用意されるのが舞台だ。


たんじゅんなのになあ

自分にうそついてもばれるよ


2017年8月17日木曜日

優しくも丸くもなりたかない。

俺はファイターでいることをやめない。

そんじょそこいらのタマじゃないぜ。

迎え撃つのは常に、難敵なのですから。そういうのを求め続けているのですから。


優しさなんて それこそ

言動じゃない部分でやるべきでしょ







負けず嫌い、勉強嫌い。

コードは枯葉のサビを借りてきて。それを少し、現代的な唄ものPOPSにもなりそうなかんじに再構成。アドリブは所謂Jazz論法では弾いてない。ブルースの手法かな。
ていうかあの弾き方は俺は出来ない。憧れてないので。あれは作業ゲーだという認識。

でもあの論法の演奏で素晴らしいものが星の数ほどあることもまた知ってる。だからそこの部分は俺は争ってもいないけど勝ってもいない。それは確か。


負けてる自分を正当化しないこと。
知識でも感情論でも応戦しようとしないこと。

そうやって結構ながい時間音楽やってきた。

別に訓戒めいたものではない。

美学やねんな。







2017年8月15日火曜日

My Way

ゴーイング、マイ、ウェイ。

なんか、それだけだな~~。

とか。

正直、思ってしまった。



なんかさ、あれを思い出したよ。立ち食いの、いきなりステーキ だっけか?

あんなかんじ。





いろいろと試行錯誤はあるが。

やっぱりアウトプットってのは本気でやったら、

クソダセぇものも絶対にあるはずなんですよ。

それはもう絶対に、絶対に、絶対に。ですよ。


そういうものを巧妙に見せないようなやり方は自分には合わない。

そんだけですよ。


この話は難しいのであまり気にしないでオーケイ。




2017年8月10日木曜日

僕はミュージシャンです。

墓に入るときにそれだけは胸張っていいたいなって。もうここまできたんなら。せっかくなので。

ないものをあるようにみせることにいっしょうけんめいになるような人生の使い方もなんかしょうがないし。かっこわるいしさ。

なんか舞台がないと成立しないようなものにはどんどんどんどん興味がなくなっている。

証拠なんて自分の音楽の愛の熱量と力量の中にしかあるわけないじゃん。っていう、若者ウケはしない考え。

自分に嘘つきながら死の床でポエムなんて吐きたくない。


おれはかっこよさを求めて音楽とかに恋をしたのでその恋心は貫くよ。




軽めのやつ

ちょっとこれは説明はいいや。今日は。
荒れそうだから。






カッティング、とな。

たかがカッティング。されど・・ なんつって。

TWITTERでここ何日かカッテッィングほにゃらら、というタグのついたギター動画をけっこう目にした。僕はツイッターはここ半年くらいなるべくそういうのがTLに流れてこないような使い方をしておるのですが、それでもごくごく幾人かの尊敬できるギタリストアカウントからのRTという形で、いろんなそのカッティングほにゃららをつい見てしまった。俺でさえこれだけ目にするんだからそのタグ参加者ぜんぶは結構膨大なものがあるのでしょうね、きっと。

さてそれで。

なんかその動画達のプレイ、フィジカルエクササイズみたいなのがほとんどで。その事が印象的でした。
カッティングっつうととにかくオンタイムで整然と・・みたいなアプローチが先ず前提として支配的なんだなぁ・・と。

僕はカッティングというのは正直よくわかってはいないのですが、なんせ、性格がものすごくルーズだしリズムというのを時にはギターが引っ張るような、ダイナミズムを持った音楽は僕が物心ついてギターを手にしたた頃にはもうすでにほとんど瀕死に近い状況でしたし。人間の演奏によるものであれ、電子的であれ、とにかくビート、BPM、というのが俺が生きている時代の音楽の主流のフォーマットでした。

ただそんな中で、なんとなくですが、カッテッィングっていうのは、音楽の一番根源的なアプローチ法なのかな・・?っていうのはなんとなく最初から感じていて。あんまりそれをテクニックとして捕らえてはいないけど、なんつうか、言葉ならばそれこそ やぁ、とか、 あの・・ とか、 えーと・・とか、 つまり・・ とか。
なんかとりあえずコミュニケーションを維持して発展させてより深いやりとりをする為の、とっかかりというかその人のクセみたいな、ものかなぁと。


文章にはうまくまとめられないですねやっぱりこういうのは。
なのでなんかそんな気持ちになったよ、という事に関連?してるかどうかはわからんけど自分の演奏記録をひとつ貼ってみます。


これは、俺の音楽に対するスタンスがすごく良く現れてる演奏記録かなー、と。
自分の結婚式の2次会ですね。普段はアコギ抱えて独自に活動をガンガンにやっておられる我が奥様と、珍しく競演しています。この2次会は僕ら夫婦ともども人生中でめぐり合ったいろーーーんな音楽人にたくさん来ていただいて、それぞれに演奏をしていただいたり、セッションをしたりと、豪華ライブみたいなかんじだったのですが。んでも結婚式ってさぁ、挙げるってなるとなんか知らんけどやたらやることとか準備とか決め事が多くてさ。そういうことに忙殺されません?
そんな訳で僕ら夫婦もこの2次会の事までについてなんて、ほとんど準備なんてできるはずもなくて。

この動画でベースとMCしてるのがちょいと縁のある音楽仲間で(でも競演経験はない)、その彼と電話で曲目とキーだけ決めて、あとはこの日この場でそれをやってみた、というのがこの動画です。ドラム叩いてるのは僕の直接の知人ではなくベースの彼が引っ張ってきてくれた旧友。僕はこの日初対面。この4人で、この演奏曲目をこのキーでやろう、ということだけは決まってたけどそれをはじめて実行したのがこのガチ本番つう。当日リハすらない。正真正銘、セッション。

そこで、こういう瞬間って、それぞれに音楽を持ち寄るしかない訳じゃないですか。
それぞれのミュージシャンシップをさぁ。

相手の出方からわからないんです。どういうテンポやシンコペーションやつまりはグルーヴ?の解釈をみんながしてくるか全くわからない。

しかもミュージシャンを職業としている訳でもなければ、その己の精神力人間力気力体力の全てを音楽のクリエイトに投じている訳でもない、僕と同じような、先ずはまっとうに就業をして賢明に自分の生活を成立させて、その上で、僅かに余った余力で音楽を楽しもう!!っていうだけの、素晴らしき、たかが凡人達がやるセッションです。
先ずは探って、ガチャガチャならガチャガチャで。ワチャワチャならワチャワチャで。
やるならやってみて。

そこでさ、まぁ楽器が好きなら好きで。音楽が好きなら好きで。

なんかちょっと、ポンコツでガタピシいってる何かに挿す機械油じゃぁないけどもさ。

そういう時にどうするか?というと。

そういう時にほんのちょっと使う機械油みたいなのが、名前が必要ならば呼ぶならば
『テクニック』であると思います。
それはカッティングというか、速弾きというか、ミュートというか、チョーキングというか、ビブラートというか、まぁ細かくジャンル分けしてもしょうがないものの全体ですよね。
そしてこの動画でも当然そうなんですが、音色、なんていうものはほんと。機材でマネジメントなんてできないですよ。あのさぁ、機材なんて、アンプとかさ。ほぼほぼたいていの場面においてその場にあるものでやるわけです。そん時初対面の。その演奏場所のその演奏時間のその場のリバーブ感、壁からの跳ね返り、場所全体の鳴り、その場に居る人間の数でも簡単に激変するんでっせ?
そこは応用力を身につけるよりベターな方法はないのです。だからぜんぶ、

会話なんですよね。

そこには、誰かひとりの思い込みとか美学とか高揚なんて、絶対に現れないのです。
出てくるものはそこに居る人たちの会話なのです。













2017年8月8日火曜日

誠実で居たい。

じぶんに対して誠実でいること。
自分の生きてきた時間をリスペクトすること。

嘘つかないこと。自分にだけは。ぜったいに。

そうやって自分のアウトプットに対して、ただただ誠実でいる自分。

それ以外の事を考えている暇なんて、今までの俺の人生には一度もなかったな。
それは今後もずっとそうなんだと、思う。

変えようと思ったとしても変えられないだろうけどもさ。


俺は自分が憧れた自分で居れてるか?


もう今までずっとなのはもちろん。今後も死ぬまでずっとおれにはそれしかないんだと思う。



僕の音楽の目的

僕はもう決して若くはない。
だから、すぐさま、これでどうこう、っていうのはないんだけれどもさ。
だ、けれども。。

なんか、じっくりこれはやったらええんちゃうんかな・・・?

みたいな感触は正直・・・ある。あるで。
なにをかくそう僕の音楽の目的はもうただひとつに定まってるからね。


それはね、

やめないこと。

これがいちばん難しい、究極の壁だからさ。
そろそろ、いや、ずいぶん前から、もう自己満足とか自分の青春日記の1ページ、としての音楽との向き合い方では意味がないな・・・というのがあって。

僕は音楽家になりたいんだよね。せっかくここまでお世話になってきたんだから、その、ケジメとして。そのケジメつけらんなかったらなんか男としてどーーーーーーしょもなくカッコわりぃな。って。

ただただ、好きなんでやってただけでーーーーーーす。

みたいなところにコロコロ転がっていくの?俺の魂は。

それはダセぇよ。

俺はやめない。音楽を。やめないつうか、はじめる。

暴走族みたいな そういう音楽や楽器との接し方なら、とっくに済ませてあるもん。中学、高校、ぜんぶ全力で捧げて、そして20代のほぼ全ての時間と感性とエネルギーを。


自分の人生を味わい深いものにし続けてくれた、音楽っていうものがさいきんようやく自分から、冷や汗、脂汗、または加齢臭??・・みたいなものとしてだけど。

なんか出始めているかも、しれない。


2017年8月7日月曜日

2017年8月1日火曜日

ギターのかっこよさとは?(シリーズ ひとり)

なんかやっぱり、懐刀のかっこよさ。これなんじゃないかなーと。
さいきんでは思い当たりますね。男として。

男として。ですよ?

目をひんむいてでっかいハンマーを振り回して常にギャーギャーと目にするものの全てを威嚇して歩ってるようじゃダサイですやん。男は。


それよか有事の際にはちょっとだけジャケットをひらいて腰に光るドスを見せたらそれで終了、みたいな。そういう美学はありますねやっぱり。


そのドスの輝きと、それを見せる時の全く平静そのものの涼しい身のこなし。

それを準備する為にまいにちまいにちちょっとでもギター弾いてれば。

それで幸せ、みたいなとこある。なんか。


俺の場合は俺がやらなくても奥さんとか、その奥さんの活動を中心にして今まで知り合えた後輩達がすごい活き活きとこの街の音楽は盛り上げて楽しんでやっているので。
そういうのを近くで見れているだけで幸せ。








失敗例。(シリーズ ひとり)

これ、即興バッキングはものすごい良いんじゃないか?とおもえるのに。
アドリブが残念。
メロディをやろうとしてないよね。雰囲気だけ。音数だけ。最低レベルや。

言い訳はいくらでもできるけど。


まぁつまり音楽には理論的な正解・不正解なんていうものとは別に、いちばんのキモとして、成功・失敗があるっつー。

成功・失敗
これもっと正しい言葉で言えば 

いい か わるい か。

この動画記録はとってもわるいと僕は思ってる。

でもこういうのがないと前進出来ないときも多々あり。

僕は天才ではないからね(^^)







音楽を愛そう。(シリーズ ひとり)

音楽を、愛そう。

だってその愛は裏切られる事がないのだから。
裏切られる事が絶対にないはずの事くらいは、

誠実にやったらきっとすごいおもしろい。

いいときもあれば、悪いときもあるさ。

ラッキーもあれば、失敗や後悔もある。

人生いろいろなんてそんなん当たり前。


だから音楽くらいは精一杯誠実に好きでいようと思える。
もう、それで人前に立って目立ちたいとかちやほや褒められたいとか、そういった気持ちから最も遠いところにその輝かしい入り口はあったんだなって。やっと。いまさらだけど。

ずいぶん回りくどい連続トラップの地獄みたいだったけど。

自分が輝けるからたのしいんじゃないんだった。


たのしいから、たのしんでたらより深くたのしめるし、

そうしているひとがかがやいてるんだなと。



シリーズ ひとりでできるもん!

バッキングをその場で自前で用意してアドリブをかます。
ここ2週間くらいこれやってる。

いくつか連投する。




2017年7月22日土曜日

結局。僕に残ったのは音楽だけだった。

ぼくはもうこの街の構成要素として生きて、精一杯やって。

この街をどこまで愛しながら?この街に生きたこの自分っていうものをどう誇りながら?

残りのエネルギーを使い切って、生きて。生ききって。

そうして、死んでゆく。

もうそれしかない人間ですから。


自分が持てる能力も可能性も衝動もパワーも気持ちも。

もう、渾然一体となったぜーーーーーんぶひとつのなんだか知らんがエネルギーのカタマリとして。ぜんぶひっくるめた、なにか精一杯のチカラのタマ?みたいなものとして。

どごおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!!!!!!!!


って、出して、ふりしぼって、

そうやって、やっていくしか。

ない。



僕はたぶん今後、死ぬまでの時間を使って、おんがくとじぶんのいきてきたじかん、じぶんのいきてきたまち、じぶんのいきてきたじだい、じぶんのいきるなかでであったひと、

そんなものをテーマに

なにか、なにか、なにか、なにか、なにか。


きっと、おんがくを精一杯楽しむアイデアを。

もうひとつふたつ、きっとやると思う。

俺なら。

まぁみなさま、その時はよろしくお願いします。


とりあえずいまは生きる為に成さねばならぬ労働の負担がほんとうに大変なので、なんとかダマシダマシ・・・、やっておる訳ですが。

それでもそんな中でも出来る事はあって。それがこういう【愛した道】の素晴らしいところ。

こうして、僕は、いつ何時デモ、誰とでも刺し違えてやるわい。

・・といった面持ちで、

いつ、なんどき、誰の挑戦でも受けたるし、

そのとき、勝つのは絶対に俺でっせ。

・・・という。


口上を口上で終わらせないために。

仮定を証明する為に、いまはコツコツと研鑽を重ねておるわけです。

突っ張ってるんですよ。

僕は14歳の時とおなじ気持ちでずぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと。


まぁ。


なんかこれは証拠みたいなものとして今ここに記しておくわ。




2017年7月19日水曜日

ナイロン弦でブルース

こういうのもなんかほんとにええなぁ。

っちゅう、年になりましたわほんまわたくしも。


アコースティックで練習

まずコードをぽろぽろ弾き。


そしてそれをループさせながらアドリブをぶっこんでいく。一番基本かもしんないすね。
気持ちいいですよこれ。アコースティックは特にね。全くおんなじ衰退の波形を持ったプレーンな音色のエネルギーだけを使って。
自分だけで、音を重ね合わせていく。


2017年7月18日火曜日

warmming-up

毎年夏が異様に暑くなってゆく。

空調が公共事業になっていかざるを得ない時代がもしかしたら迫っているのかもしれん。


ギターを弾いてます。

まぁ、とりあえずはそんなわけですよ。



2017年7月13日木曜日

それでも音楽はやっててよかった。

いつか、どこかで。
ほんの束の間というか。
ほんの、自己満足の錯覚であったとしても。

気分の良くなる瞬間を。


音楽と、それに挑んだ自分の結実点が。


生じることも、たまに。ないとはいいきれないでしょ?

人生ってうんざりするほどながくて、
うんざりするほど退屈なものだから。



田舎でギターを趣味にするなど。

もしも人生をやり直せるとしたら、賭けてもいい。
こんなアホな選択は俺はしないね。

田舎でギターを趣味にするなど。

自分に嘘をつかなければつかないほど。
誠実に音を追求すればするほど。


なんか追い詰められていくんですよ。田舎って。


死ぬほど運動してJリーガーにでもなれば良かったなー。



もっとラフでいいのになァ・・・

弾き損ねとその事後処理の技術経験地。

フレーズそんな流麗につなげられるわきゃないんだからアイデアや音の流れの構築に詰まりかける時の一瞬のその応用力対応力。


俺はそんなのがそのギタリストの真の巧さ、魅力だとおもうのですが

アマチュアがSNSやなんかに発表する自称インプロヴィゼーションとかはそういうものが巧妙にカットされててさぁ。そうすると面白くもなんともなくて。

2016年に気まぐれでやってみたネットでのギター趣味人との交流だけど、今年に入ってからは一切そういういろんなアマチュア仲間の演奏動画投稿は正直再生してない。



正直にいいますと・・

1990年代前半に邦楽、特にテレビメディアで確認できるような全ての類、
を通過していてそれを音楽と思っていた人と、或いはその頃はまだ子供だった世代・・

その辺とは基本的に音楽人として同胞意識は生理的に持てないんだよな・・・。

あの頃はロッキング・オンとクロスビートと、あとはビートUK。主にはその辺のソースから懸命におっ立てたアンテナで音を自分で探したよな、みんな。ファッションだって。価値観だって。

こういう思考に至ると老害っていうらしいけどね最近では。



ジャズだとかなんだとか。

ロックってのはつまり、
ギター開放同盟だったわけですよね。ジャズ文法からの。
そんな、捉われ(囚われ)なくていいんだよ、っていう。

あいかわらず僕の根っこにはそれしかない。


2017年7月6日木曜日

『空色のバス』

『空色のバス』 作詞・作曲 junichitakenaka

いつも ふざけ合ってきたね はじめて会った あの日から

ずっと 探していたんだ こんな毎日を

もし・・これが夢ならば 

僕は 何度も 君に辿り着くよ

僕ら 憧れた 空色のバスに乗って

夢の先まで

いつか 描いてた幸せを 君とずっと

歩き始めた


そして わかっていたんだ 君でなければ ダメなんだと

ふたり 誓い合ったんだ 永遠の日々を

もし・・君が泣くならば

僕が 何度でも 君を笑わせるよ

僕ら 憧れた 空色のバスに乗って

夢の先まで

いつか 描いてた幸せを 君とずっと

歩き始めよう


2017年6月19日月曜日

わたくしのごくさいきんのいんぷろヴぃぜぇしょん。

まぁインプロヴィゼーションなんて崇高なものとは違うかもね。マイナーいっぱつ、ふんいきアドリブ


ギターと僕が近くになればなるほど、音楽は僕から遠くに行ってしまうような感覚がここんとこずっとある。


practice A jazzblues

延々とやるようなものでもないよね、ギターソロなんて。


2017年4月25日火曜日

improvisation in Gm

昔シャーベル10年選手だったんですが。一番濃い時代をともにしたのでやっぱり体が欲してしまいまして。今またシャーベルつこてる。86年製なんだけどこれってもはやビンテージだよね・・?

(違うか。)