2013年4月18日木曜日

Who are you?

あなたたちはいったいぜんたい、誰なのだ?

と。思う事の連続だったGR発表へのリアクション。そしてかくいう自分自身への揺らぎ。




僕はいったい何が撮りたいんだろう。

いまだに答えはあやふやなのが正直なところ。
でもだからこその、10年前のコンデジなのだっていう正気のカケラは持ってやっているつもり。模索だけならほんとこれで全然いい。全部撮ってやる。不純だけどね。不純なのは重々承知。

だって、写ルンですを持って、スナップウォークに行く!って人、見たことあります?僕はないし、たぶんそんな人居ないんじゃないかな?って、うすうす気づいてます。
でも
そこが答えなのは認めるのは怖いけど真理なんじゃないかな。写ルンですは、シャッターというものを押す目的がはっきりしてる時じゃないと必要とされないカメラなんですよね。でもそれって、写真そのものじゃないですか?
あれは、カメラそのものなんです。僕は、絶対にそこの価値観は揺らがない。

じゃあ(勿論俺も含めた)現在の趣味写真家が押しているシャッターって、いったいなんなのさ。


とりあえず僕は今現在の模索や挑戦や迷い、全てを撮るカメラとして、10年前とかのコンパクトデジタルをそれにもっとも適したカメラだと思っっています。全てを撮りたいんです。ぜんぶを。答えに至るまでの。

意味をつかみたいんです。

ただ、こんな俺でも撮るべき被写体や今現在できうる技術で保証すべきクオリティが明確にわかっている場面は、たまにだけど、ある。そんな時は、ほんのちょっぴりレンズやらレゾリューションやら、選んでいいと思っているけれど、それはマイクロフォーサーズ素子と、優秀な企業がその素子の為に専用設計したレンズ、その組み合わせで、僕はそれ以上を質として求めようとは感じていないです。素子がこれ以上デカイとそのシステム全体の質量および資産としての重みが日常からは遊離します。日常から遊離したシステムは日常を記録できないです。そうしたらそれは必然的にカメラとしての体を成さなくなります。それはもう、必然と、容易に。

これが今現在僕がやっていること、考えていることの、全てです。

とりあえず一番重要なのがこの自分自身の探求。信じてやっていくしかない。楽しいんだし。


それと同じ位の重要度なのがなんかほんとうに意味を感じないものの排除。目と目的意識が命の趣味ですから。そこは研ぎ澄ませたい。

レゾリューションとか、諧調とか、そういうもの可能性を追求している方の技術的作例ならばまだマシなほうです。エンジニアというのは、必要ですからね。

ただどうしても俺が目を塞ぎたいのは、前提として最初から被写体を必要としないで押されているシャッター達です。

もちろんいうまでもないことですが、それはつまり上記のような優秀なエンジニア達の検証を自分もただなぞってみたいというだけの目的のシャッターだったり、そしていちばんひどいのは、カメラというのが何がしかの被写体を撮るものだという事にすら考えも及ばずに、ただアウトフォーカスのボケだけを撮りたいが為に押されていたり、それを撮影した機材名を羅列することでただ精神的なお友達や自分の信者さんを獲得したいが為に押されているシャッター達とかですよね。おそろしいことですがインターネットで自信満々のカメラクラスタさんの大部分はこういう方々だったりします・・・。

とりあえず僕はあたらしいGRDで素晴らしい写真が世界中でたくさん撮られる事をもちろんのぞんでいますが、CCDがでかくなったから急にそうなるかというとそこに因果関係はねーだろ。

これだけ言いたかった。




















2 件のコメント:

  1. 相変わらず こころ揺らいでますねえ~^^
    でもなんとなくわかりますよ。

    何のためにと言われると答えられません。

    自己満足とも違うし・・・・


    コメントこそは残せてませんが すべて拝見させていただいてます。^^

    返信削除
    返信
    1. きっとずっとこれが写真を撮るということなのかもしれませんねぇ。模索。
      こちらもずっと気にかけておりますしフォトヒトはmsnrnさんのを見るためだけにたまにアクセスしてますよ僕も!!

      削除