2012年4月30日月曜日

たまには何一つ整理整頓しない写真記事。

もう、とっ散らかして。

それもまた、写真のリアリティかなと。


整理はしない代わりに。とっ散らかす代わりに。
僕がここを写真blogにしよう、と決めてからはすんごい究極にダサイと思うのでやっていないこと、いちまいいちまいに解説や注釈めいたことをつける、というのをやってみる。自信ないけど(笑


これは昨日ですねー。LC5です。パナソニックのふるーいコンデシ。いや、コンデジというほど、コンパクトじゃあ、ないw んでもいい画でしょ?なんでいまコンデジっていったらば、このカメラに使われてるのよりも一回り小さいイメージセンサを使うようになってしもたか。そこをよーーーーく考えるとね、わかりますよ。写真の答え。




LC5による昼光、街スナップ2点。当たり前すぎて言うのもためらわれますが、ぼくはキャンディドとかストリートスナップというのは主に標準画角付近の単焦点セットにて撮られたもの以外そう呼んではいけないと思います。だからこれは模擬。LCはズーム機なんで。模擬なりに35mmあたりでやってはいるけどね。


まるでポテチとチョコレイト。スナップとネイチャーを交互にやっていれば写真という世界に飽きる事なんてないんじゃないかと思う。そのふたつは互いに、相互にフィードバックし合うってのもたまらないところ。2点とも、LC5。





上の3点は超絶個性派カメラ、SIGMA DP1によるもの。FOVEONセンサーという無限の可能性と、コンデジサイズのボディーにほとんど実用域圏外の・・・写るんですの覗き窓ていどにしか役に立たない荒モニターという。おまえはフィルムカメラか!!というツッコミが一番正しいであろう、ひねくれモン。最高におもしろいデジタルカメラですよ。DP。良い楽器がべつに良い演奏を保障するわけではないのと同じ。良いカメラとは別に良い写真を保障するもの、ではないでしょう。この気難しさが現存のデジタルカメラのなかでは異質となっているこの状況が、異常過ぎると思う。




最後は僕のいまの主力機GF1から2点。マイクロフォーサーズ、という『カメラ』のあり方。
論争したってキチガイが勝つんで、俺は写真でずっと、もくもくと。やってやり続けていきたいですね。

ずっと。もくもくと。


カメラってなんの為にあるの?っていったらば、

写真を撮るためにあるんですから。



2012年4月29日日曜日

生きる花 Panasonic Lumix GF1+M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8

活けてある花を撮ろうとはあまり思わない。誰かが植えたのであろうと、勝手に生えたのであろうと。土に根ざして生きているやつがいい。




ほんじつのチャリスナ

チャリンコ乗りーの。スナップしーの。








2012年4月28日土曜日

ほんじつの数点。

はい。今日も愛すべき旧機、Panasonic Lumix LC5(2001年製 400万画素)による。

なんでかね。ほんっとうに猛烈に好きですわ。

ノスタルジーとは違うと思う。はっきり言って、『どやねん?』てくらいの気持ちで出してる。

本気で勝ちにこだわってますよw

論文ぶつより写真にあらわしてみたいんです。

写真っていうジャンルの名誉の為に。

写真ていうのはヒトが光を記録したいと願った歴史そのものですよ。

目で見たままに。

目で見たままに。

現代『デジタル写真』が、旧銀塩時代で言うところの『写真』を模倣しようとしたり、デジタル技術の力で銀塩写真の歴史をひょいっと指先で超えようとしてもそれは究極の無意味に終わると思います。

そうではなくて、

現代において。現代に生まれてしまった自分にとって。どんな『デジタルカメラ』がいったい、『カメラ』と呼ぶに相応しいのか。

別にデジタルに必ずしも移行しなくちゃいけないこともない、いったいどんな『カメラ』ならば自分にとってそれが『写真を撮る機械』に成りえるのか。

それを考えること感じること、好き嫌いをハッキリクッキリと認識してちゃんと表明して実践すること。


それ、おれたちみたいなプロフェッショナルでもなんでもない、ふつうの暮らしを営むふつうの庶民としての『カメラマン』が、絶対にいまやらなくちゃならないことだと思う。


だって『写真』が撮りたくてカメラ使うんでしょ?



え、ちげーの?w






















旧機で遊ぼう。

遊ぶ。と決めた時は、人間遊べばいいんですよ。

なーんもむっずかしーこと、かんがえない。と決めた時は、思考を放棄すればいいんです。


なにごとも基準値があってのメリハリですよね。

ぼくは例えばGFやDPでバシィーーーーーッと、絞りやフォーカスや露出を合わせてRAWファイルに書き出した写真データを、

わざわざホルガやロモ風に現像しようとはあまり思いませんが、

だからこそ半分そっぽ向きながらでもただテキトーに押すシャッターも、目や脳を欺くトリッキーな色味も。電子的に作り出す風化も。

同じように自分の中では愛せています。









2012年4月27日金曜日

レンズの力を信じる。

まいどおなじみほんじつの数点ですけれども。

仕事行く前のほんのスキマに撮る、僕が大好きな感じのこういう。マンネリっちゃあそれまでですけど・・。


ぼく、こういう、かんじのほんとうに日々の写真。すきなんです。誰にってわけじゃない。

ここでぼくがやっていることって、結局、カメラっていう機械が心底好きなんだろーなぁ。と最近やっと認めてきてます。信じてるんですよね。カメラっていう機械ができるはずの事を。その力を。

器用にばきーーーーん!!!って極楽浄土みたいな景色を現像も出来ないし、そんなユーアージーニアス!!!!なんていうこともないですけれどもね・・。

しっかりと、付き合って行きたいんです。縁あってぼくの元にやってきた、写真機とか、レンズ達と。せっかくいま一緒に居る限りは。

そうして撮り溜めたイメージ達は、ほんとうに、すごいですよ。僕にとっては。まるでスーパーコンピュータだし、タイムマシン。

それを撮った自分ってものを。記録してくれるんですよ。